「やめようかと何度も思った。でも決断してよかった」
墓じまいして良かった|「重荷」が「誇り」に変わった話
H.Sさん
15年間、払い続けた年間管理料
祖父母のお墓は、岐阜県の山間部にある霊園にあります。
両親が亡くなったあと、長男である私が継ぐことになりました。最初は当然のことだと思っていました。でも、現実は思っていたより重かった。
名古屋から霊園まで片道3時間。年間管理料は12,000円。お盆とお彼岸の帰省費用は往復2万円×2回で4万円。毎年合わせると約5万円と半日×4回の時間が消えていきました。
「これがあと何年続くのか」——そう考えると憂鬱でした。自分が高齢になったとき、子どもたちに同じ負担をかけるのかと思うと、申し訳ない気持ちにもなりました。
「墓じまい」という言葉を初めてちゃんと調べたのは、祖父母の七回忌が終わったころでした。
反対した叔母を説得するまで
家族の中で最初に相談したのは、父の妹にあたる叔母です。
「墓じまいを考えている」と伝えると、電話口で泣かれました。「先祖への冒涜だ」「お父さんが聞いたら悲しむ」——感情的に、激しく反対されました。
私は叔母の気持ちがわかりました。お墓は、叔母にとって亡き兄(私の父)と話せる場所だったのだと思います。
3ヶ月かけて話し合いを続けました。石材店の方や行政書士の方にも同席してもらい、墓じまいの手続きや、遺骨の移転先についてを一緒に説明してもらいました。
転機になったのは、「遺骨は名古屋市内の永代供養墓に移す」という提案をしたときです。「名古屋なら月に一回でも会いに行けますよ」と伝えると、叔母の表情が少し変わりました。
「……それなら、お父さんに会いに行きやすくなるね」
その一言で、方向性が決まりました。
閉眼供養の日、泣いていたのは叔母だった
閉眼供養の当日、叔母は私と一緒に岐阜まで来てくれました。
お坊さんにお経を上げていただき、石材店の方に作業をしていただきました。墓石が解体され、遺骨が取り出される様子を、叔母と並んで見ていました。
帰り際、叔母が言いました。
「ここに来るの最後かと思ったけど、名古屋で会えるんだね」
笑いながら言っていたのに、私のほうが泣いてしまいました。
今は名古屋市内の永代供養墓に祖父母の遺骨が眠っています。叔母と月1回、一緒にお参りに行くのが習慣になりました。
岐阜に行っていたころ、年2回だったお参りが、今は月1回。墓じまい前の10倍以上、お参りの回数が増えました。
「重荷」だったお墓が、「誇り」になった気がしています。先祖を近くに感じながら、叔母と話せる時間——それがこんなに大切なものだとは、墓じまいするまで気づきませんでした。
[▶墓じまいの流れ・費用・手続き完全ガイド](/guide/1)
※ この体験談は、編集部が一般的なご相談事例をもとに再構成したものです。登場する人物名・地名・具体的な状況はすべてフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。